大好きな祖母の命の灯が消えようとしています。
98歳。大好きなおばあちゃん
私は生まれてから3歳くらいまで
両親と一緒に祖父と祖母の家で暮らしていたので
二人からは無償の愛を注いでもらった
おじいちゃん子、おばあちゃん子でした。
離れて暮らすようになってもよく泊まりにいき
小学校1年生からは一人でバスに乗って
祖父祖母の家に行っていました。
おばあちゃんちまでは、バスで1時間ほど。
小さい私にとっては、それはそれは長旅でした。
小学生の私は目的地のバス停の名前だけを覚えて
ドキドキしながら毎回バスに乗っていました。
降車するバス停には
いつも祖母の姿がありました。
バスの車窓からおばあちゃんの姿が見えると
ドキドキが緩み、ほっと温かな気持ちになっていくのを
今でも覚えています。
バスを降りておばあちゃんに抱き着く。
手をつないでお話をしながら家まで歩く。
祖母は、到着時間の1時間も前からバス停で
いつも私を待ってくれていました。
それは、祖父が私を心配して
「早く迎えにいけ!」(祖父は昔ながらの九州男児でした。。)
と、祖母に言っていたから。
暑い日も寒い日も、ずっとバス停で待ってくれていました。
祖父と祖母の家は
絶対的な安心感と愛を私に与えてくれる場所でした。
そんなおばあちゃんの命の灯が
消えかけています。
お喋り好きでひょうきんなおばあちゃん。
おばあちゃんと話をしていると
とんちが利いていて
そこにはいつも笑いがありました。
私を抱っこしてくれた手。
泊まりにいったときは一緒に寝て、私の耳をずっと触ってくれた手。
大好物の芋の天ぷらを作ってくれた手。
お弁当を作ってくれた手。
お盆とお正月には毎年お御馳走を作ってくれた手。
裁縫が得意でいろんなものを作ってくれた手。
絵が上手だった手。
美しい字を書く手。
シワシワなはずのおばあちゃんの手は
なぜか今はとても浮腫んで
風船のように腫れて
シワが見当たりません。。。
辛そうに呼吸をしていて、意識はありません。
できるだけ毎日病院に行き
おばあちゃんの耳元で話しかけ
手をさすり、足をさすり
少しでも長くそばにいたいと思っています。
意識はなくとも、きっと声は届いていると信じています。
おばあちゃん、大好き!
たくさんの愛をいつもありがとう。
今日も会いにいきます。