震災から5年が経ちました

震災から5年が経ちました。

あの日、テレビから流れてくる映像が
本当に日本で起こっていることなのか
受け入れらずに

ただ、東北にいる知人や
東北にお住まいのお客様のこと
そして一人でも多くの命がどうかどうか救われるように
祈るしかなかったです。

東北にお住いのお客様へは
お一人お一人、ご連絡をしました。
連絡がとれないお客様へはスタッフと一緒に
お手紙を書き

お客様から何かしらのお返事をいただくたび
安堵とよろこびと、そして、いま、そのお客様に
私たちがなにができるのかを考えご対応させていただきました。

CoCoRoでは、2011年3月からいまも毎月
日本赤十字社を通し、義援金を送らせていただいています。
これは、これからも続けていきます。

東日本の復興を心からお祈りしています。
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私たちに何ができるのか。

天災は避けられない、でも、人災は避けられます。

新聞の記事で見たのですが
岩手県大船橋市吉浜地区は、今回の震災で
住民の1400人のうち犠牲者は1人で
「奇跡の集落」といわれているそうです。

1933年の昭和三陸津波のあと
当時の村長 柏崎丑太郎さんが、住民の高台移転を強化されました。

丑太郎さんには苦い経験があり
昭和津波の37年前の明治津波で
住民の2割の200人がなくなったそうです。

批判にも動じず、高台移転を徹底したそうです。

そして、今回の津波。
丑太郎さんのお孫さんで100歳になるナカさんは
今回の地震で揺れを感じた時に
坂をのぼり、命が助かりました。

「地震が来たらまず逃げろ」
小さなころ、繰り返し祖父の丑太郎さんが説いていたことだそうです。

「奇跡の集落」
その昔、強い意志と想いで未来の人を助けることに
つなげた方がいることを知りました。

東電は2008年、明治津波並みの地震が起きた時には
最大15.7mの津波が来ると試算していた。
それなのに具体的な対策をなにもしていなかった。

歴史は警告しています。
昔起こった出来事を未来のために
先人たちは伝え、なにかの形で残してくれています。

昔の教えを顧みず、惨劇の記憶が薄れ
自分にだけは起きないと決して思わないこと。

そして、この震災で起きたことをどう考え
未来の人たちに何を残せるのか。
私も考えていきます。